映画を観てきた話

はてなブログさんはこんなに何度も放置されるブログを消さないでいてくれて優しい。
雑記帳的なブログもあったはずなんだけど、多分自分で消したはず。消すなよ。お料理ブログとうさぎブログしか残ってないせいで今回の記事どこに書いたらいいか分からなくなった。

タイトルの通り、先日映画を観に行きました。
「街の上で」っていう作品。
以下、たぶんネタバレは書かないと思う、書くときは断りを入れます。基本的に映画の内容にほぼ関係ない備忘録。


普段、ろくに映画を観に行かない。
観るのはキッズ向け映画ばかり、あとはワイスピみたいなバカで爽快(褒めてる)な映画くらい。一番“まとも”なラインでミッドサマーかな。まともかな?
ド田舎出身で、上京するまでの人生で映画館に行ったのなんか片手で十分な回数だったし、地元では環境的にレンタルビデオとも縁が無かった。金ローと王様のブランチのLiLiCoさんだけが映画的命綱だった。

対して、旦那はいわゆる映画ファン。
あらゆるジャンルの映画を劇場でも配信でも結構な本数観てるし、常に映画関連の新しい情報を仕入れ続けている。お陰で今は自分も、映画界隈で何が起きてるのか毎日なんとなく小耳に挟んでいる。

旦那とはかれこれ6年くらいの付き合いになる。
知り合ってすぐの頃はお互いの好きなものを分け合うように、本やらCDやらDVDやら、とにかく色々と貸し借りしていた。

自分はもともと文化的な面ではかなり偏食家で、数少ない好きになったものだけを繰り返し見聞きし続けるタチだ。
理由として考えられるものが2つある。
ひとつは、製品の形で手に入れられるメディアが少なかったから、手元にあるもので長く満足できるように育ったっていう説。
実際、上京してTSUTAYAが身近になった途端にひと月あたり30枚ほど多種多様(個人の感想です)なCDを借り漁っていたし、音楽以外についても、自由を手にしたお陰で知識欲は確かに目覚めた。

もうひとつはそれでも改善されなかったくらいには根深いもので、多分自分は、物語に影響されやすいんだと思う。
影響されると分かっているから、自分の何かを変えられてしまうのが怖くて新しいものに手を出せない。
良い意味でも悪い意味でも、トラウマが出来るのが怖い。

そういう性質があって、私から旦那へ分けられるものはすぐに尽きたし、旦那からは受け取りきれないものが山ほどあった。
旦那は映画だけじゃなく文化的なメディアだったら大体アンテナを張り巡らせてる人だから、小説とか漫画とか映像ものとか、自分から見れば凄いペースで取り込んでいる。歳はほぼ同じなのに、蓄えている言葉や物語の量があまりにも違う。

運動会の玉入れでカゴの中身をポイポイ出し終わって、隣のカゴだけがいつまでも玉を出し続けてるみたいな、ちょっとした居た堪れなさを今でもたまに感じることがある。
横に居させてもらって、とてもじゃないが自分は追いつけなかった。知り合った当初はそれでも人となりを知りたくて頑張ったほうだけど、結局途中で諦めてしまった。

こう書くと健気に無理でもしていたような雰囲気が出るが、実際は無理をするまでもなく白旗を上げていた。
旦那のお陰でよりどりみどり、になったことでようやく自分にも好き嫌いが出来てきたし(昔は物を知らなすぎて自発的な選り好みすらまともにできてなかった)、
未知の作品に手を出すことへの強い抵抗感とキツめの好き嫌い、この何故かパワーアップした文化的偏食家を相手に旦那のほうもすぐに笑って諦めてくれた。

早い段階で互いに諦めたことは正解だったと自分は思う。
それからは、ちょっとしたズルではあるけど、私が直に知りに行けない作品に関しては旦那が一度噛み砕いたものを話して聞かせてもらうスタイルになった。

これがたいへん性に合った。
たとえ苦手な類いの作品でも、旦那の感想として聞かせてもらうとなんとなく楽しめた。旦那が話の面白い人だからって要素は大きいけど。
こうすることで、旦那が何を見聞きしてきたのか知れるようになった。

それに、一緒に過ごす時間が増えるのにしたがって、リアルタイムに共有できるものが増えていった。昔を取り戻すことに焦りを感じる必要もないくらい。
一緒に好きになったものもたくさん出来た。

結果的に今、
旦那は仕事が忙しかったり多少は体も衰えたりして新しいものを取り入れるペースが昔よりは落ちたものの、相変わらず趣味を満喫していて、
私は保守的な体質は変わらないまま、でも昔に比べたら知識の幅が(浅いけど)広がり、一度に抱えられる物の量も格段に増えた。


映画の話に戻る。

映画に関してもまた、旦那は変わらず新しいものを追い続けて、私はそれを横目で見つつお土産話を聞かせてもらっている。あと宇多丸さんの話を旦那が聴いてるのを横でなんとなく聞いてる。
キッズ向け作品とか、知り合った頃に紹介してもらってハマったシリーズやその系統の作品とか、そういう私も観そうなものは私が行きたいって言い出すのを辛抱強く待ってくれて、一緒に観に行ってくれる。

そんなやり方もとっくに当たり前になってた中、
「街の上で」を観てきた旦那がいつものように、何日かにわたってぽつぽつとその映画の話をしていた。

旦那が長年ファンをやってる映画監督の最新作らしい。
旦那本人のツイートを引用したほうが早そう。だいたいこんな感じの話を聞いた(ネタバレといえばネタバレかもしれない)
https://twitter.com/harahiro_hh/status/1381547793207074821?s=21

まあとにかく、映画文化の中にいる人が楽しめるものなんだろうなあと他人事として受けとめていた。いつも通りのことだ。
すると旦那がこう言う。

「久々にきみにも観てほしいって思った」

確かに久々だった。
この映画を共有した状態で下北沢の街を歩きたい、というようなことを言っていた。下北沢は(世間がこんなふうになる前は)時おり遊びに行くまあまあ馴染みの街だったし、知ってる街並みが出てきて面白いとも聞いた。

そのときは、へえ、まあいずれ連れて行ってもらおうかな、とか相変わらず他人事のように考えていた。
自分の習性からするとこれは、最終的に観に行かずに終わるパターンの思考だ。

でも耳にしてから一日、また一日と時間が過ぎていくうち、自分の中で反響するその言葉がどんどん大きくなっていった。
「久々にきみにも観てほしいって思った」
そう口にしたときの旦那は、なんというか、いじらしかった。

自分で言うのも何だが腰が重いくせに口ばかり立つから、動き出したくないあまりに聞かせてもらった感想の言葉尻をとらえてそういう描写は見たくないとか、やれ邦画は好きじゃないだの恋愛映画は勘弁だの、
否定的な言葉とともに却下される可能性もあると、この数年の生活で旦那はしっかり理解していただろう。いや本当に我ながらクズすぎる。
それでも彼は口にした。別段身構えた様子は見えなかったけど、どんな心境だったのだろう。

感覚を記録したくて書き始めた備忘録だから、もう少しだけ言葉を尽くしてみようと思う。

あれは例えるなら、遠慮を覚えたばかりの子どもがおもちゃのCMなんか見ながらそれとなく関心を示してみせるような、希望のこぼれ落ちる音だった。
目を見て言われたわけでもないのに、まだ映画の街を眺めているようなまなざしがやけに印象的だった。面差しには諦めが半分、もう半分にはしたたかな自信と期待があった。そこにたおやかな趣を感じた。

ふうん、いじらしいじゃん。
たったそれだけの冷やかし半分みたいな印象がいつまでも後を引いた。
数年暮らした中で培った“勘”のようなものが、この言葉は掴まえておけと囁いたのかもしれなかった。 


そうしてある日の夜勤明け、ふと思い立ってそのまま一人で映画館へ向かった。
劇場の外壁に「街の上で」のポスターがあるのを眺めて、これで合ってるんだよな、多分、とこの期に及んで他人事のようだった。ミニシアターと呼ばれるところへ足を運んで、そんな状態の人間って普通いないだろう。それもわざわざ平日朝イチのチケットなんか買っておいて。
まだ映画のタイトルすらおぼろげで、ポスターに佇む人の顔も、並ぶ名前も、何もかも知らなかった。“今泉監督”だけは旦那が散々話題に上げていたから、どうにか認識した。

さすがに戸惑った。
少しくらい情報を入れておかないと、2時間ひたすら置いていかれるかもしれない。
開場まで迷ったけれど、結局何も知らないままで飛び込んでみることにした。そのほうが、まあ、土産話は面白くなるだろう。

で、映画を観た。
いやすごい面白かった。思わず帰りにポスターを買った。パンフレットは旦那が買ってきてあったから我慢した。アパレルまで買ったろうかな、くらいの熱量がぐらぐら来ていた(主人公とヒロインどっちの絵柄がいいものかひどく迷って一旦保留とした)。

台詞やお芝居や小道具、撮り方や様々な演出、間の取り方、全部に意図がみなぎっていた。
は〜早く話したい、ちゃんと感想戦したい。
取りこぼしたくない思いで、ついつい館内の展示スペースをスルーしてしまった。もったいない。機会があればじっくり見たいものだけど、情勢的にどうだろうか。

帰り道、じっと「街の上で」を反芻して、家に着いていの一番に旦那へメッセージを送った。
きみは例の映画、おかわりしないのか?と訊いた。
仕事を終えた旦那から、いずれ2回目の鑑賞はしたい旨の返信が来た。じゃあ一緒に行きたい、と返すと喜んだ。
ちなみにこの時点でまだ映画を観てきたことは話していなかったから、おお行く気になったか、とそれだけで喜んでいたらしい。自分、もう少し日頃の行いを改めたほうがいい。

帰ってきた旦那に、お土産。とポスターを手渡した。

なんで?どこで買ったのこれ、あっこれ俺が行ったときは完売でさ、欲しかったんだよね。えっでもどうやって買ったの?

こうなることを多少は狙っていたが、この妙なサプライズ?にあまりに良い反応をくれるから可笑しかった。愉快だった。
観てきたと伝えると信じられないように驚いた。

ええ、ほんとに。えーうれしい。なにその行動力、すごいね、へええそうかあ。

喜ばしいことが突然降りかかると声色が硬くなるのは旦那の癖だ。そんな声のまま、代わりに全身からうれしいうれしいと漏れ出してくる気配がある。
いじらしいの次はストレートにかわいらしい、で来た。


それからお互い気の済むまで「街の上で」の感想を浴びせ合った。たくさん聞いてもらったしたくさん補足してもらった。
やり取りの中に、やられた、と思った点があった。
旦那がこの映画を薦めてきた理由についてだ。

下北沢で遊ぶとき、私の頭にも映画の記憶があったほうが楽しいだろう、というのは薦められたときにも聞いた。
けど、「きみの書く文章から考えて、合うかなと思った」のは聞かされていなかった。

恥ずかしながらアラサーにもなってまだ創作活動なんか続けている。いやアラサーで創作活動やってること自体はいいけど、文章書いて食っていこうとしているわけでもなし、インターネットにダラダラ放つばかりで武器になる物でもない。大っぴらにできるような代物じゃないし、中学生の趣味を引きずっているだけのことだ。
それを旦那は何故か知り合った当初から気に入っているらしい。何でも食える人はさすがだな、と思う。

「街の上で」は、恋愛映画だが身体的な接触はほとんど無い。皆無だったかな、と思うくらい、人と人とが皮膚で触れ合うことが無かった。
旦那いわく今泉監督作品の特色らしい。
私はそんな「街の上で」を、感じの良い映画だな、とエンドロールを眺めながら最初に思った。好青年、みたいに言うなら好映画。

不必要にベタベタしたり、ぎゃあぎゃあ大声張り上げたりする作品はあまり好きになれない。ただの好みの問題だけど。
そんな劇的なつくり方をしなくたって表現はできる、人間は描ける、とこの作品は主張しているように感じた。作品のテーマにも(おそらく)重なると思う。

はじめから終わりまで自然体な人間の生活、やり取り、それだけでつくり上げられた「街の上で」は私の舌にひどく合ったし、喉越しもよく胃にもやさしかった。良質な栄養がきっと生涯にわたり私の一部になってくれるのだと思うと、嬉しくもなる。

エンドロールを眺めて2番目に思ったことは、旦那はよく私のこと見てるな、だった。
観ていてあまりに気持ちが良かった。「街の上で」を引き合わせたほうがいい、と判断できるほどに私の内面を知ってもらえているのをひしひしと感じて、これもやっぱり嬉しかった。
自分がそれなりに命削って必死になって一本一本書いているものから、この映画へ繋がる道を見出してもらえたのも重ね重ね嬉しかった。

喜ばせるつもりで動いてみたら、めちゃめちゃ喜ばされてしまった。悔しいような、こそばゆいような。


まあ大体、こんな顛末だった。
映画を観てきたことについて、書き残したかった感情や出来事は概ね出し尽くせたと思う。
この体験を覚えておいて、知らないものにもっと飛び込んでいくように……するかどうかは分からない、多分この偏屈さはそうそう変わらないだろうけど、
覚えておいたら後々良いことがある、そんな気がする。
“勘”がそう言っている。

味噌鍋

今年もお山の上からおいしい豚肉がもたらされたので、この恵みをありがたく調理した。

家の食品ストレージから干し椎茸(スライス)を発掘、これを出汁とする。
短冊に切った人参と干し椎茸、戻し汁を入れた鍋に早速豚肉を投入。とり野菜みその教えに従い、この状態から火にかけていく。

今年の豚肉は大変きれいな小間切れ状で500g×4袋。冷凍のまま使うのにとても便利ですごい。あとやっぱり量がすごい。ありがたい。
鍋だしこんな良い肉袋の半分も入れたら贅沢すぎかな…と思いつつ、お山の上から「何チマチマしてるんだ」と声が聞こえた気がしてしっかり半分(約250g)投入。

煮立たせていく。
白菜を切って白いとこからドサドサ入れる。
カット済みのえのき。
もやし。
白菜の葉っぱのとこ。
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煮えた。

味見してみるとしいたけの出汁はもちろん、それを上回る「うまい肉」の出汁がたっぷり出ている。
最高なので火を止めて味噌を入れていく。

つい最近、神州一味噌?とかいう諏訪発祥の味噌を使い始めたので今回もその味噌。白っぽくてまったりした田舎の味噌っぽい匂いがする。

完成。
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うーんもうすごいおいしい、肉の脂がじわっと甘い。すごい良い香りがする。見た目はごく普通の小間切れ肉なのに普段食べるものとは別の世界の動物みたいだ。
旦那も嬉しそうにおいしく食べていた。

一緒に頂いたぽんかんもすごいおいしかった。
お山さん今年もありがとうございました。


ちなみにうさぎ日誌ですけど、面倒くさくて止まってるわけではなく、うさぎがあまりに代わり映えしない元気すぎる日々を過ごしているので、書くことがなくて停止しています。
すごい元気。食欲で生きてる。

ポークジンジャー

「ポークジンジャー」っていつから言うようになったんだろう。
別の用事で久々にはてなブログにログインしたらなんか面白そうなことをしてた痕跡を見つけたので、おととい作った生姜焼きの写真でも。

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コンロ周りに自信が無い。

先日、お山の上に住んでる知人が税金をいっぱいおさめたら食べ物がいっぱい返ってきたということで貧民の我が家に恵んでくれました。
ある日仕事から帰ると高そうな豚肉1.8kgと信じられないくらいおいしいりんごジュースと膨大なデータを積んだiPod?と、この上さらにお土産というチョコミント味ガトーショコラが届いていてびっくりした。神仏に徳を積んだ昔話の家かと思った。

そうしてやってきた見るからに旨い、厚切りスライスで25センチくらいの長さがある豚肉×1.8kgを、最初は塩ちゃんこ鍋で食べた。
香りが良すぎる。脂の甘みがすごい。
近年あらゆる食レポで「甘~い」ばかり連呼されていて甘みがそんなに食の価値観上位にいるか?と思ってるけど肉の甘みはなるほど旨い。

礼儀としてはじめシンプルに味わったのでじゃあ次は、この大量の肉を用いて大量に食べたかった夢の料理をやろうということで取りかかったのが今回の生姜焼き。

テンションが上がりすぎてタマネギを入れるのすら忘れたけど大量すぎてどのみちフライパンに入らなかったろうしキャベツを添えたのでOK。

いや…もう…おいしいね…すごくおいしい…
これだけガッツリ味付けしても肉の旨みが全然負けない。この料理のために生まれた肉みたいだ。
幅も厚みもある長い肉を端から順にたぐるように、口いっぱいの少し手前まで頬張って、その隙間にごはんを添えていっしょに噛みしめると脳天からつま先までぜんぶおいしいでいっぱいになる。
生きていてよかった…

これでもまだ3分の1以上肉が残ったので、次はその半分くらい知人おすすめの豚汁にしようと思います。
お山さん本当にありがとうございます。